ODA実績で5位に転落!必要なところに質にこだわる援助を

 どうやら日本のODA拠出額の実績値がいよいよ世界第5位に転落するそうだ(4日にOECDが発表する予定とのこと)。とはいっても、以前から「そうなるだろう」という話は出ていたので特に驚くことはないのだが、2006年実績で日本の援助額に肉薄していたフランスとドイツが追い抜く。さらに2010年にはイタリアにも抜かれて6位になるだろうとのこと。

 もちろん援助額が増えればいいというわけではない。1990年代、日本は世界最大の援助国として謳歌していたわけだが、円借款(貸付)偏重の日本の援助のやり方がすべてにおいて優っていたわけではない。つまりは「質」と「量」を巡る問題なわけだが、量で優っても質に問題があったことは数多くのNGOがさまざまな場所で明らかにしている。

 国連の潘基文事務総長が国連ミレニアム開発目標MDGs)の達成に向けた国際会合において、「多くの国が横道にそれたまま」であるとの発言をしたようだが、国際社会において取り決めた約束事すら守られない援助の現状というのはやはり良くない。必要なところに必要な支援が届くかどうかというのは非常に大切なところだ。

 給食を通じた子どもたちへの食糧支援(栄養面における保健医療と教育支援の視点も含む)でテレビなどで日本でも見ることができる国連世界食糧計画(WFP)に対するODAの多国間援助の不足もまた報告されている。エコロジーだと進められているバイオエネルギーなどを筆頭に食糧を十分にえることができない人たちがいる一方で工業利用されている食料が、それがゆえに価格の高騰を招き、市場から食料を調達し支援を行うWFPが資金不足の状態に陥っているというのだ。43ヵ国に対する追加資金を要請する一方で、日本を顧みてみればピーク時の6割減(1億2000万ドル)しか2007年度は支援ができていない。多国間援助が大幅に減らされている現状はもちろん「誰が支援したかが分からない」=日本の顔が見えないからだとされ、ODAシールを貼ることもできないWFPら国際機関に対する支援が後回しになっているのだ。

 国内の経済状況が良いとは言えない状況にあるなかで、ODAの増額は難しいかもしれない。実際、2005年のグレンイーグルスサミットで日本はODAの積み増しを国際的に約束しているのだが、とはいえなかなか難しいのも現実だ。そのときどうするか?と考えた日本が目をつけたのがどうやら、中国やタイなど新興援助国と呼ばれる国々のようである。今月下旬にはそれらの国を中心に欧米諸国も交え30ヵ国ほどで「新興援助国会合」をバンコクで開催したいと韓国と相談している。新興援助国への支援を通じて国際協力のなかで役割を果たそうというのは、あながち悪い考えではないが、日本の支援の内容として掲げられているのが、「ODAの基準作り」であり、具体的には援助実績の情報開示や、人権・環境に配慮した援助のあり方について提案・支援するというものらしい。

 日本国内ではODAの法整備については非常に後ろ向きで、さらに社会・環境に関する事前調査や事後評価についても十分に行えているとは言い難い状態にあるといわれるなかで(現実に日本のODAによって引き起こされたさまざまな世界の問題は知らなくてもネットを調べれば山のように出てくる)、新興援助国に対する基準作りの支援というのはなんだか片腹痛い感じもするのだが、市民やNGO側からはこうした政府の姿勢をうまく利用して、ODAの額が少ないからこそ、「質」にこだわり、国際協力(援助)の必要性とその重要性を日本社会はもちろん、世界に対してもアピールすることが必要なのかもしれない。

国連開発援助の変容と国際政治―UNDPの40年

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