郵政民営化を考える〜世界が望む?民営化

ニュースでは来月11日に行われる総選挙に向けての報道が続いている。先日の衆院解散劇から早3日。相変わらず国民不在な…という言葉を安易に用いるから、たぶん僕たちはダメなんだろうと思うけれど、逆にまぁここで選挙をしちゃえ!という判断を下し750億円以上とも言われる選挙のための税金の無駄遣いをしてまでも、また「政治の空白」なるものを作るとしても選挙をすることができるこの国はまだまだ幸せなことなんだろう。反面、この解散によって廃案になったもののなかに、どれだけ重要なものがあったのか?と言われると、僕はほとんどそれを知らない。ただ、身体・知的・精神各障害者への福祉サービスの一元化を唱い、一方で1割負担による実質負担増を強いられる法律「障害者自立支援法案」もまた廃案になった。臨時国会で再提出されるらしいが、これは反対の多いこの法案が改めてしっかりと議論が行われることになるのだとすれば良いことだろう(朝日新聞など参照)。

解散の根元、郵政民営化については正直判断できるだけの情報を持っていないというのが現実だ。おそらくそれなりに情報は出ているのだろうが、「どちらがいいか?」という判断を下すことができる人間がどれだけいるか?といわれると案外少ないに違いない。「民営化すれば……」という枕詞に色々な賛否両方からさまざまな見解が出されるが、その根元的な所をどこに置くか?というのは、案外判断が難しい。

ただ、国際通貨基金(IMF)参院否決・衆院解散前に提出した報告書(Country Report No. 05/273)の中で示す郵政民営化への賛意(日本経済新聞記事など参照)を考えると、国際協力NGOに関わっている人間としては、「たぶん民営化するってのは、人間の尊厳レベルにおいて考えると良くないんだろうな」という気がするのが正直なところ。もちろん、ここには世界銀行IMFによる途上国での民営化支援策の多くがさまざまな問題を引き起こし、また環境や人権に多大なる悪影響を及ぼしているのが明らかであるからだ(具体例は個人的関心からは水道事業の民営化を筆頭に、枚挙に暇がない)。

もちろん、今回この法案に反対した人たちの言っていることを見ると、自分たちの票田確保以上に何も生み出さないだろうことは安易に想像可能だ。そこには有権者としての僕たちの姿は見えても、それ以上ではない。そしてそれは僕たちがさまざまな利権を彼らに運んでいく姿にも重なる。それらにどのような立場から僕たちが投票するか?ということが大切だ。投票に行かない…という判断よりも、少し時間を使ってどういう意味があるのかに頭を捻って投票すること、よりベターなものを選び取ること、自らが選択することこそに意味がある。残りあと1ヵ月。暑い夏に少し頭を動かしてみよう。