遺伝子組み換え作物(GMO)を巡る歴史の繰り返し


先週、HOTWIRED JAPANに2日続けて、医薬品用の遺伝子組み換え作物についての記事が掲載されていました(こちらが1回目の記事)。アフリカでも多く栽培されている商品・換金作物であるタバコの葉を使って遺伝子組み換えを行い、HIV結核の特効薬を作ることに関するものです。これにより、大量・安価に薬品を作ることができるということ。

遺伝子組み換え作物を巡ってはここ数年大きな話題の的になっています。スーパーに行けば「遺伝子組み換えを行っていません」とわざわざパッケージに表示された品物もたくさん並んでいます。消費者として、それは重要な商品購入の動機になっているということでしょう。

記事の中で研究者は、遺伝子組み換え技術を用いた産業こそがアフリカ救済の最も新しい形であると主張しています。アフリカで進むバイオ産業への事業の集中は、そうした声に裏付けされているともとれます。

しかし少し立ち止まって考えてみると、そこにはいくつかの疑問も浮かんでくるでしょう。例えば、上に書いた「大量・安価」というキーワードは、フォード主義の元に進んできた「大量生産・大量消費」という現代の様々な環境問題を生みだしてきたことを想起させます。確かにアフリカで起こっている HIV/AIDSを巡る現状において、多くの人にやすく薬を提供できるという意味合いでは非常に重要な事業であるかもしれません。

ただ、遺伝子組み換えという未だ十分な検証もされずじまいで、われわれの体内にどのような影響を与えるのか判然としない中で、行われる現状にはどうしても違和感があります。さらにそれを途上国に設置するというのは、産廃を山の中に放り投げるということを思い出させるものでもあるでしょう。

また日本でも行われている遺伝子組み換え作物の実験でも起きたように、他の植物に対する影響も考えられます。いくらこの実験が人里離れたところで行われたとしても、花粉を初めとして、風に乗り他の植物に影響を与えるということに余りに無関心であるように思います。「いつのまにか遺伝子組み換え食物を口にしていた」ということは十分にありえます。

それ以上に、何よりも政府や国際機関、そして企業(とりわけ多国籍企業)が進める遺伝子組み換えに関する情報が余りにも開示されずじまいであるという現状に対する問題もあります。すべてが明らかになった上で、多くの人がそれで問題ないとすれば、また違う話になります。

隠されたものを明らかにすること。国際協力活動やNGOにおいてもこのことは非常に重要なキーワードになるだろうと思います。

◆写真はA SEED EUROPEの昨年5月アクション告知で使われたものです。右から農民・企業の研究者・活動家・母親・警察官。いわずもがな、映画『トレインスポッティング』からインスパイアされたものですね。面白いなぁ。