「国益」についてかんがえるとき。

先月ブログで紹介した新聞への意見広告。すっかり報告を忘れていたのですが、今月2日に毎日新聞紙面で行われました。これは、イラク意見広告の会さんのHPで見ることができます。まだ賛同金が足らないらしく、続けて募集しています。

イラクへの自衛隊の派遣期限が近づくなか、徐々に延期の道筋が作られようとしています。一昨日のブログに書いた大野防衛庁長官の訪サマワに続いて、与党幹部もサマワ入りとのこと。防衛庁長官はわずか5時間半ほどの滞在で「治安もかなり安定している」という結論。

このまま自衛隊の派遣延期が続くのだろうとは思うのですが、単純に何を基準に判断しているのか?ということが未だに分からないままです。…いや、わかるのは「アメリカ」を基準にしているのだろうということですね。この視点にないのが、実は僕たち「国民」なのかもしれません。

今手元にないので不正確この上ないのですが、数日前の毎日新聞のコラムの中に「国益を守るためにも撤兵を」という趣旨の文章が掲載されていました。つい最近までの、毎日新聞の社説に掲載される「視点・サマワと日本」の議論の左右する状況を見ながら、まさに今の日本の現状を表しているなぁと思っていたのですが、とあるいち記者が書いた自衛隊派遣に関する上の視点は、これまできちんとメディア側が出してこなかったものだなぁと言う気がします。

もちろん、この論議はすごく国内的なものであって、自衛隊の派遣やそれが後押しする米英連合軍のイラクで行っていることをすべて鳥瞰的にみたものではありません。しかし、「国益」という至極、政治家的な言葉で攻めるとすれば、まさにこの「イラクへの自衛隊派遣は国益にならない」というのは有効だろうという気がします。もちろん、こういう発言をした途端に「国益とは何か?」ということを考えなければならないわけですが、それを行ってあまりある有効な言葉かもしれません。

それと同時並行的に「イラクの人々の視点」で考えられるかどうか?が国際社会における先進国、日本の政治家の役割であることもまた訴えていくべきでしょう。もはや一国内で「利益」を語るような世界ではないのですから。よくアメリカ人を国内のことばかり考えていると非難する有識者がいますが、この国だって、旅行にはたくさん行っても思考形式は「日本」にしかないのはもはや言うまでもないのかもしれませんが…。