相対化と絶対化〜あいのり概論

やっぱり気になるフジテレビの恋愛バラエティ世界旅"あいのり"…というわけで今週も見入ってしまいました……って見事に嵌められてるんでしょうか?(笑) 今週も先週に続けてアフリカ大陸の中部、エチオピアの旅。

…とその前に、前回の放送のことをブログに書いて(こちら[11/30]とこちら[12/1])から、あいのりのHP内にある視聴者からのメッセージを暇に任せて読んでいたんですが、若い人、小学生から大学生までがすごく素直に番組を見てメッセージを寄せているのを見て、「あ〜、伝え方だなぁ」と改めて思いました。しかも、じゅん平の言葉にも、ソルトの言葉にも敏感に反応している。逆に、「自分たちの生活から変えなきゃ!」という「一人ひとり主義」(ブログ「What's New & Occasional Diary」内記事を参照してください)に陥っていたり、逆にアフリカの責任に帰する内容を書いているのは20〜40代の女性の方ですね。どうしてでしょう?(男性はそれ以前に単純に書き込みが少ないのですが…。)

このメッセージに寄せているスタッフの文章に「「勉強になった、考えさせられた」という意見が多かったので大変うれしく思っています。一方で「なぜバラエティーなのにこんな政治的なことをやるのか」という批判の電話、メールもいただきました」というものがありました。好対照な意見が出るというのはいい番組の証左であるとは思いますが、「政治的な…」云々の意見ってのは、改めてこの国は不幸だなぁと思うのは僕だけなんでしょうか?…というより、人間が生きていることそれ自体が「政治的」であることをもっと認識してもいいような気がします。

さて、今週のエチオピアの旅。内戦で生き別れになった姉弟が物語を進める。生きているか分からない姉を探し求めて"ラブワゴン"で旅。最終的に探し求めていたお姉さんは生存していた。そして無事に対面。感動的な話だけれど(上記のメッセージもそんなのばかり)、面白かったのは今回もその事実を前にしてのメンバー同士の対話。「生きているか分からない姉を捜すということが、弟にとってどうなのか?」という現実を前にしての対話は興味深かった。相変わらずソルトは「綺麗事は嫌い」と繰り返していて、これもまた対話にエッセンスを加える。彼女を誰も相手にしなくなってしまったときが一番の問題だとは思うのです。

他者の意見を相対的なものとして受け取る、いわばポストモダン的とでもいう状況がここ数年支配的で、それだからこそ、逆に絶対的なものとしての小泉首相石原都知事のようなものが一方で賞賛される風潮があるように思います。大学でいえば、理論、理論という研究者と、「だってこんなものだってあるじゃない」と個々具体的な個別例のみを繰り出す学生の無益な対立のようなものです。どちらも重要に決まっていて、問題はそのバランス。

そういう意味では今回のあいのりは、そのバランスを実は一歩踏み出したのかもしれません。個別具体的なもの、他にもたくさんいるだろう戦争孤児の姉弟のひとりを取りだして、その個別具体的な幸福へとストーリーを持っていったわけで、今後の"あいのり"がどちらの方向に行くか?というのは、実はすごく重要じゃないのか?と思うのです。ここからどれだけ広く問題認識を広げるか?もしかするとそれは先週のそれに対応していたのかもしれませんが、まだ足りないかも…。

あ、「あいのり募金」が新しい展開に入ったのでそれを書こうと思っていたのですが、長くなってきたので次回に譲ります。よかったら、上のリンクから今週の動きをご覧下さい。