エイズとカンボジア(2)〜和平の後に残されたもの、エイズ

ネットで報道を見て回っていると明日の世界エイズデーには各地で様々なイベントが開かれるようだ。福岡でも天神のソラリアプラザでパネル展が行われているようだ(西日本新聞)。このパネル展では、福岡と試験在住の20名が名前・年齢・職業・素顔を明かして性感染症(STI)について語っているという。その中に次のような文章があった。

「彼氏とエッチするとき、ゴムは使いません。…彼も自分も検査を受けたら陰性。彼は浮気しないという信頼もあるし。それでビョーキがうつったら、半分は自分の責任だと思います」(二十九歳のダンサー男性)

この発言を読んで良い恋愛をしているのだなと思う反面、こう言い切ることができる社会に住むことが出来ていることを他人行儀にも考えてしまう。エイズをはじめとする性感染症(STI)に感染したときに「自分の責任」と腹をくくることができるのはすごく大切なことだ。もちろんこれはSTIだけではなく、大方全てのものごとに通じる。しかし、言わずもがな必ずしもそうした状況に置かれていない人たちがいる。昨日のエントリーで書いた、カンボジアエイズ孤児たちはそうだ。カンボジアではエイズ孤児支援NGO「SFODA」とは別に、同じくJVC九州ネットワーク(Q-net)が支援する女性のエンパワーメントを中心に取り組むカンボジア初のNGOといわれる「Khemara(ケマラ)」を訪ねた。寺院の敷地の一角に事務所を構えるケマラが行う支援のひとつがHIV/AIDsに感染した女性たち、なかでもセックス・ワーカーへの支援である。

カンボジアで初めてHIVウィルスが輸血用血液の中から発見されたのが1991年。その後、急速にカンボジアエイズが広まったが、中でもセックス・ワーカーへの感染が拡大した。カンボジアへのHIVウィルスの流入と時期を同じくして入ってきたのが、国連カンボジア暫定統治機構(UNCTAC)だ。和平への道筋を辿ると共に、多くの外国人がカンボジアへと入り、それと共にセックス・ワーカーの数も増大した。それと共にエイズ感染者の数も増えた。暗黒の80年代を過ぎてやってきたのは、内戦時代の大量の地雷であり、エイズであったのだ。

ケマラの施設を訪ねたときに行われていたワークショップは、セックス・ワーカーとそのパートナーを対象としたものだった。全員が感染者というわけではなく、いわゆる施設周辺の売春地域に住むセックス・ワーカーを対象としたもので、HIV/AIDsの様々な事実やそれらが抱える問題について、ゲーム性を取り入れながら分かりやすく伝え、また一緒に考える時間を提供していた。自らが抱える問題は深刻であるに違いない彼らが、仲間やNGOスタッフらと共に、笑顔で、しかし真剣に問題に取り組む姿勢を見せてもらった。エイズ感染者が身内で出れば隔離して家から一歩も外に出さないという閉鎖性を持つカンボジアにおいて、彼/彼女たちが抱える状況はひどく深刻なものに違いない。社会が彼らを拒絶すべき対象者として扱うなかに本当に解決など見られるはずもないわけで、ケマラを始め、さまざまな市民社会アクターが実際に感染者やその予備軍に対して行う活動はより重要なものになっているだろう。

昨日のエイズ孤児も、そしてセックス・ワーカーも自らの責任において、現在のような状況に置かれたわけではない。後者に至っては9割以上が他に仕事があれば代わりたいと願い、またそれでも現状に止まらざるを得ない状況があるなかで、社会が彼らに対する支援を続けなければならない。それは言うまでもなく金銭面での支援だけではなく、社会の仕組みに対する支援である。それは、南アフリカHIV/AIDs治療のためのコピー薬を巡る騒動にも見られるように、国際社会レベルで対応が必要なものがある。治療薬が届かなければならないところへ届けられる仕組みを作り出すのは、カンボジアやサハラ以南のアフリカ諸国のようなエイズの深刻な地域だけではなく、日本を初めとする先進国による政策が大切になる。そしてそこに市民社会アクターも積極的に提言を続ける中で、形にする必要がある。

重ねて記すことになるが、日本でも昨年HIV/AIDs感染者の数が1000人を越えた。これは世界中が抱える問題なのだ。そして今日は世界エイズデー