こんなに違いがあるのは恥ずかしい

先日、タイのタクシン首相が選挙の後に自ら首相の座を降りることを明言し、2ヶ月近く続いていたタイ、とりわけバンコクなどでの混乱が静まる気配を見せています。都市部を中心とした市民が抗議行動という形でアピールをし続けたひとつの結果が出ています(もちろんこれによる弊害もあるのは間違いないですが)。

またアメリカでは不法移民を罰する法の制定を巡って人々がアクションを起こしていますし、イギリスでは放送局であるBBCを相手に、イラク戦争開戦時に市民のアクションをしっかりと報道しなかったと抗議行動をしています。

そして今一番報道で目にするのが、フランスの新しい雇用政策を巡る市民・学生による抗議行動であり、また共に行動する労働組合による大規模なストライキです。

日本でも年度末に航空会社が国内線のストライキを起こす可能性があることが報道されていましたが、テレビのインタビューに答えていた航空機利用者のひとりは「ストライキするなんて自分勝手すぎる」と怒っていました。なんだか、その映像を見て不満で忸怩たる思いが私自身の中にありました。

欧米やアジア、南米など、報道で目にする多くの市民による抗議行動というのは、日本ではなんだか不当な扱いを受けているような気がします。「しっかり話し合いをすればいいのに」という余りに外野的な考え方が蔓延しているような気がします。おそらく現地で話し合いで解決するのであれば、とっくにしていることでしょう。また中には稀にある暴力的な行動をとる一部の人たちをクローズアップして報道される場合が多く、そのイメージが日本の多くの人に刷り込まれているのかもしれません。

イギリスでは、デモのような市民の抗議行動やアクションを新聞などで多く報じられるといいます。また政府もその意見を聞く姿勢(そぶり?)を見せます。もちろん、その結果何かが変わるかどうかは別として、市民のアクションに対してまずは応える姿勢を明確にします。そして、そうした「市民の抗議行動やアクションが行える、民主主義の根ざした国」であることを世界的にアピールする意味でも、政府や地方自治体、報道機関はそれらに向かい合うといいます。フランスの今回の例を見れば、今まさに政府が学生グループや労働組合などとの間で協議に入る姿勢を見せています。

再び日本のことを考えてみると、市民アクションの周りにいる人たちや政府や地方自治体、また報道がこれらにまともに向かい合っているかどうかといえば、かなり怪しいものです。どちらかといえば、「またやってるな」としか見られていないという部分が多いのではないでしょうか。やはり、私たち市民が考えていることをストレートにアピールすることができるあらゆるしくみが大切だと思うのです。岩国の米軍基地への住民投票の結果を軽くあしらう政府関係者や、プルサーマルに関する地方自治体や業界の姿を見ると、それはとてつもなく、遠い未来の理想にしか見えないのですが。

最後に、フランスの新雇用法のアクションに参加していた女性(おそらく大学生だと思いますが)がカメラに向かって話していたことを、ご紹介しましょう。私はこの最初の文章を聞いてかなりドキッとしました。国家というものが自分との間にどのような関係にあるのか?ということを改めて考えさせられました。

「私たちと政府の間にこんなに違いがあるのは恥ずかしい。政府は私たちの声を聞いてくれない!」

皆さんは、自分たちと政府の間に大きな乖離があったとき、どのように感じますか?そしてどのようにしますか?

(特活)NGO福岡ネットワーク発行 メールマガジン『Fun! Fan! FUNN!!』第47号掲載(4/5発行)より