援助する責任、援助を受ける責任

先日、新聞を読んでいるとこんな記事がありました。

インド洋大津波:支援薬の半分は無駄 WHOが自制を検討



 世界保健機関(WHO)は18日、一昨年のインド洋大津波で大きな被害を受けたインドネシアアチェ州へ支援物資として送られた医薬品の半分以上が使い物にならずに「医療廃棄物」となってしまい、廃棄費用だけで数百万ドルかかることを明らかにした。昨年十月のパキスタン地震でも同様の事態が起きているという。WHOは、災害時の一方的な医薬品支援を自制するよう求める国際キャンペーンの検討を始めた。

 フランスの非政府組織(NGO)・国境なき薬剤師団がWHOの資金支援を受けてアチェで昨年行った調査によると、緊急支援で届いた医薬品は約4000トン。被災地からの要請もないまま、一方的に送られた薬は「人口1人当たり2キロに上った」(WHO関係者)という。

 しかも、このうち7割はアラビア語や中国語、タイ語、日本語など、現地の医師や薬剤師が読めないラベル表示しかなかった。薬がどんどんと送られてきたために倉庫が足りず、熱帯の地で野ざらしとなった薬も30トン見つかった。(以下略)

毎日新聞

あれだけの被災者が出た震災・津波に対して世界中から支援の手が差し伸べられました。それはとても大切なことであるし、素敵なことだと思います。しかし、一方で世界中の皆さんからの好意は残念ながら、一部、逆に手間を要するものになっているものも事実で、有効期限の切れた即時廃棄の必要がある医薬品が1000トンあり、医療廃棄物として適正処理するために6億円近くの資金が必要になるそうです。

記事によると、こうしたケースが90年代にも問題となり、1999年に「被災地からの要請なしに一方的には送らない」などという指針を策定したそうですが、しかし、今回もまた同様のケースが見られたようです。

医薬品に限らず、またNGOや市民の支援に限らず、国際機関による援助や政府によるODAまで含めて、「何が、今まさに現地において必要とされているのか?」ということは常に考えられなければならないことです。一概に「物を送る」ことが悪いとは思ってはいませんが、何をするにしても送られる地域に住む人々の姿をイメージし、また彼らと「何が必要か?」というこことをしっかりと話し合うことが必要であり、また支援は一時的になりがちですが、継続的に行うことが可能なのかどうか、そして何より被援助者は歓迎していても、その地域全体、はたまたその国にとってそれは本当に必要なことであるのか?ということを、援助する地域の社会や文化などを知ることと同時に、改めて考える必要があるでしょう。

中古衣料や物資を送ることはもとより、橋や道路などのインフラ整備などもまた同様です。「何が必要か?」ということを本当に判断するのは誰なのかということは常に頭に入れておきたいと思う毎日です。

(特活)NGO福岡ネットワーク(FUNN):隔週刊メルマガ『Fun!Fan!FUNN!!』第46号寄稿