暑いカンボジアで考えたこと

昨年はカラカラに乾いていた土地で、水の気配を感じた。量は十分ではないだろうが、溜池には水が張っているし、井戸から汲み上げた水で頭を洗う人もたくさん目にした。約1年ぶりに訪れたカンボジアの農村。日本のNGOのプロジェクト地やカンボジアのローカルNGOのプロジェクト地の村で見た人たちの顔は昨年よりもずっと笑顔が多く、元気だったように思えた。頭や腰にクロマーと呼ばれる布を巻き、水汲みやヤシ砂糖作り、牛の世話などをしながら子どもたちと触れあいながらの生活が彼らにとっての普段であったからだろう。

しかしもちろんそうした彼らの生活が農村のみに限られるような世界ではないということもまた同時に見え隠れする。例えば乾季の重要な収入源としてのヤシ砂糖作り。ヤシの木に、枝を足場になるよう作られた梯子を立て掛けて登って樹液を集め、1日中、軒先の大きな釜戸で煮詰めて作る。1日で60kgの樹液から10kgの砂糖を作っても収入は1500リエル(約45円)。ここ最近は隣国ベトナムから安価でしかも真っ白で上等な砂糖が入ってきていて競争力はほとんどない。さらにかつては燃料は近場で手に入れられた枝木もなく、肥料として使える落ち葉を使うしかなく、それどころかそうした落ち葉や枝木をわざわざ購入して燃料としていることも多いという。もちろんその分、利益は大きく減ることになる。

村の若い男性はもちろん、女性も近隣の都市の工場に働きに出る。女性の働き場所の多くは繊維工場で、朝から夕方まで働きづめだ。カンボジアは繊維産業が輸出の8〜9割を占める「繊維立国」である。しかしそれももはや過去の話になりつつあるのは、この国が2004年9月にWTO世界貿易機関)の加盟国となったことに大きく関係する。これまで1974年に締結された多国間繊維協定(MEA)によって欧米や日本の輸入割当枠の恩恵を受けて成長したこの国の繊維産業は、WTOの取決めによる、2004年末での割当枠の全廃により大きなダメージを受けているのだ。これにより2004年9月以降、年末までに、20の工場が閉鎖・廃業し、約2万6000人が失業、なかでも約5000人の20歳以下の女性が職を失ってしまったという。

本号でも記事にある通り、昨年末、香港で開催されたWTO閣僚会議ではさらなる自由貿易の推進のためのドーハ・ラウンドの推進を積極的に進めようとしているが、世界の金持ちが「自由」を推進する傍らで、それにより不自由を強いられる人たちもまた存在する。しかもそれは途上国で起こっているだけではなく、まさにこの国でもまた起こっていることを記事の中で見て頂きたい。

もちろん、そうした苦難な中で、けれども村の人たちは、農村開発プロジェクトを進めるNGOとともに、より良い、自らにとっても、村にとっても、環境・生態系にとっても持続可能な生活のあり方を模索し続けている。とあるプロジェクトを行う農村で村の人たちが胸を張って自らが行っていることを説明する姿は圧倒され、また同じ地球に住むものとして誇りに思うと同時に、こちらも奮起する所がある。私たちはさまざまな現実や矛盾とぶつかりつつも、そうした人たちと同じ地球上で、共に繋がりより良い社会を作っていくことを考えながら協力・協働を探りたい。突き刺すような太陽の光を体一杯に浴びながら、そう強く思った。

債務と貧困を考えるジュビリー九州ニューズレター「CRUSH THE ODIOUS DEBT」Vol.19 エディターズノート(p.2)。