バンドエイド20[その4]〜音楽で国際協力!

これまでも何度かこのページで触れてきた、スーダン難民救済のための英国アーティストたちの集まり、バンド・エイド20ですが、先日ブログに書いた通り、無事にレコーディングが終わりました。今日はその時の様子のレポートを、BBCニュースから訳出しました。40人を越える多くのアーティストたちが、このバンド「Band Aid20」とどのように向き合ったか?そしてスーダンなどの社会問題にどう向き合ったか?ということを知ってもらえると嬉しいです。

なお、元記事はこちらの「Pop stars sample Band Aid reality」(11日15日のレポート)です。下手な訳文ですが、良かったら読んで下さい。では。

☆☆以下、訳文。

ポップスターはバンドエイドを現実へとサンプリングする。

by. イアン・ヤング
40人を越える音楽スターたちが、バンドエイドのシングル"Do They Konw it's Christmas?"のニューバージョンをロンドンでレコーディングした。日曜日のグループ・セッションで最高潮に達した。
レコーディング・スタジオに、英国の最も人気のある芸術家のうちの数人があつまり、英国の音楽の才能の祝賀であった。
しかし、それは1日の歓喜、エゴあるいは無駄話ではなく、彼らは、その日が彼らについてのものではないという、気まぐれな言葉では語られなかった。ボブ・ゲルドフはそれを確認した。
もしスターたちが現実に対する非常に細い理解力があったならば、ゲルドフは涙の中へと彼らの多く(ジョス・ストーンからダークネスのフロントマンのジャスティン・ホーキンスまで)が浸るだけの衝撃を与えたのだった。

飢饉
ちょうど彼らががグループ写真のために集まる前に、ゲルドフは、エチオピアの飢きんの20年来のビデオを見せることを決めた。
それは、1984年に死んでいく難民に示した、ライブエイド以来の最も感動的なビデオで、その力のどれも失っていなかった。
ストーン(ソウル界で大評判の17歳)は、大口をあけ、顔の前に無力に手を差し出して、すっかり仰天していた。
自らを中心に回る世界へ慣れている他のスーパースターたちもまた、同じように没頭して狼狽して、混乱の中にいた。
その後、心の琴線の引っ張り方を知っているゲルドフは、ビデオの終わりで映っていた飢えているひとり子供、そのひとりの女性を袖から紹介しました。
それはアーティストたちには十分すぎた。そして、続いて撮られたグループ写真に多くの赤い目があることだろう。
自分たちの影響・責任がレコード店を越えて伸びていく。それは若いシンガーたちへの目覚ましコールであった。

遅れ
そして、オリジナルの後の20年間、自分たちの窓の外に世界がまだあるという残りへの遅れを思い出させるものだった。
その日の最初に、オリジナルソングが出たときにはまだ生まれていなかった、ストーンはゲルドルを「ガンダルフ」と呼び、バステッドのジェームス・ボールンは、ゲルドフがそれをすべてはじめた人間だとはわかってなかった。
しかし、終わる頃には、若いスターたちからの賞賛され、バステッドはツアーでバンドエイドのロゴとビデオを見せたいと言うまでになった。
「クールか、クールでないか。それは、君たちがヒゲを剃らなかったり、君たちのメイクアップが未だに前日の夜から滴り落ちている日曜の朝に何を意味するだろうか?」ゲルドフは尋ねた。
「君たちが紙からの声のように歌うことができるなら、クールか、クールじゃないかなんて誰が気にするというんだろう?考えてみてくれ。ロックやポップだってそうだろう?そのすべてが進み、その場所について考え抜いた日曜日の朝に、人々の群れにまさになるんだ。」
ゲルドフは、拒絶できないオファーをスターたちにして、彼のメッセージを全員に伝えるある方法を持っている。
彼は、彼らが飢餓救済のための資金に貢献せず、それを調達することを助けないのであれば、彼らは直接的に他の人々の死の責任となるのだと、基本的に彼らに言う。
彼が、20年前にそうしたスターたちのラインナップを集めることを達成したことは、現在のスターたちの多くが貢献することに熱望したこの時よりも、より印象的だった。
しかし、今日のシンガーたちは彼の伝説の説得から逃げなかった。

「深刻だ」
シュガーベイブスのケイシャ・ブキャナンは、彼女が今週末までバンドエイドに関してちょっとは知っていたが、それがどれだけ「深い」かは知らなかった、と言った。
「今日、私たちがそのビデオを見た時が、それがどれほど深刻かについて胸を突いたときです」と彼女が言った。
バンドメンバーである、ハイディ・レンジは付け加えて言った。「全員がその歌をレコーディングすることで、遠くへ運び、ちょっとばかり興奮させることができるから、その大切なところを家へと持ち帰る。だけど、あれを見た後は、みんな実際に気が動転してたよ。」
ダークネスのシンガーであるジャスティン・ホーキンズは、彼とギタリストの弟ダンのふたりとも泣き叫んだと言った。
「だけど、その後フランキー(・ボウライン、ベーシスト)は、『お前らはナヨナヨし過ぎだ。バンドの評価を落としやがった。けど、お前らは人間だ』って言うんだ。」
感情と矛盾が混ざった一日だった。
ムードが明るくなるのに、グループ写真や次の合唱の間に長くかからなかった。しかし、オリジナルの歌は、常に、ポップな子どもたちにアピールするために、より暗いメッセージと同時に、気分を高揚させる要素を持っていた。
いつものブリット・アワードよりも多くのスターたちとともに、その日はさらに明らかに現実のものではない強みを持っていた。
ピンクのエプロン姿でお茶を運ぶ(しかし歌ってはいない)ブラーのデーモン・アルバーンから、ドラムを叩こうとするシュガーベイブスのハイディまで、アーティストたちは、自らのイメージに対して明らかに気取ったところはなかった。

スターは遭遇する。
40人以上がランチタイムに写真やコーラスのために到着するため、プラチナを取るほど売るスターたちにばったり出会わないように建物の近くを歩くことは不可能だった。
また時々、4人のラジオ・リポーター、1人のプレス、そして1人のオンライン・ジャーナリストがいた小さなプレスルームに入るために待つ有名人の行列があった。
かつてのバステッドやキーン、シュガーベイブス、そしてダークネスを強制することは、数百万のポップ・ファンがおそらく自分たちの祖母たちにするように騙すということだ。
アーティストたちの間で、既に互いに知っていたか、スタイルを共有した人々の間に避けられない友情があったが、みんな、それが中に共にあり、それをちょっとでもすることができて、幸福だということを知っていた。
1984年のように多くのビッグスターがいたが、多くのテレビクルーやラジオ・レポーター、セキュリティ、そしてPRする人たちは時勢の現れであった。

「政治的な要求」
オリジナルシングルをプロデュースし、今回共同製作者だったミッジ・ユーロによれば、「それはスピールバーグの映画の展開を見ることに似ている。それは巨大であり、光り輝いている。」
ユーロとゲルドフは、人々が50枚を購入し、そしてそれらを自分たちのお金をもう一度与えることを望んでいる。しかし、そこに、別の、今回のそれほど量化せず、より長期的な目的がある。
ゲルドフはシンガーたちに言った。「今年、君たちのレコードを人々が買うとき、彼らは政治的な要求を行なっているんだ。翌年、僕らはこの圧力を維持しなければならないよ。」
で、音楽? ラフなバージョンとコーラスを聞く限り、ふさわしく素晴らしかった。しかし、もちろんそれは実際には重要ではなかったんだけど。