アウシュビッツ解放60周年、人々の関心・無関心
24日、国連総会ナチス強制収容所解放60周年記念"特別会合が開催されました。ナチス・ドイツのアウシュビッツ強制収容所で起こった、600万人とも言われるユダヤ人大虐殺を巡って行われたもので、国連総会が開催したのは初めてとのこと(熊本日日新聞)。
- 作者: ヴィクトール・E・フランクル,池田香代子
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2002/11/06
- メディア: 単行本
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1940年にポーランド南部の小さな街オシフィエンチムをアウシュビッツと名付けたナチスが作った収容所は当初のポーランド人虐殺からユダヤ人虐殺施設へと変わりました。そしてそこで起こった大量虐殺。ナチス親衛隊の指導者、ヒムラーはこのアウシュビッツでの出来事の背景にある反ユダヤ主義は「ノミやシラミ退治と同じ衛生上の問題だ」と言ったといいます。また人道実験(これは太平洋戦争時の日本の軍隊もまたそうだと言われますが)などもふくめ、とにかく非人道的な出来事でした。(アウシュビッツ−ビルケナウ国立博物館ウェブサイト< 英語>などをご覧下さい。)
そうしたアウシュビッツでの出来事をドイツは丁寧に振り返ってきました。もちろん、単に現在のドイツと当時のナチスを同一視しえない解釈があるのも知っていますが、それでもなお、現代において何度も繰り返して歴史を紐解く"誠意"しか、"今"の世界で認められる方法はないのかもしれません。日本で起こっている歴史論争は、そうした国を挙げた"誠意"の不足がゆえに問題となり、障害を引き起こしているのではないではないのか?と思えます。お金でもなく、武力でもなく、政治力でもなく。
話を戻してこの国連総会特別会合には、ノーベル平和賞受賞者(1986年)であり、アウシュビッツ被収容者でもある米国ユダヤ系作家エリ・ウィーゼル氏が出席し講演をしました(エリ・ウィーゼル財団)。講演の中で彼は、スーダンのダルフールで今起こっていること、またカンボジアやボスニア、ルワンダで起こっていることを指摘していいました。「もし世界が耳を傾けていれば、それらの事態を回避できたかもしれない」と。そして次のように続けます。
亡くなった人々にとっては遅すぎる。しかし今現在を生きる子供達にとっては遅すぎると言うことはない、
(For the dead, it was too late. But, it was not too late for today's children.)
UN Press Release GA/10330(2005/1/24)
そして最後にこういいます。「われわれは学んでいるのだろうか?(Will we ever learn?)」。
この特別会合は191の加盟国の内138ヵ国が賛成して開催されました。開催の提案をしたのはアメリカです。これについて毎日新聞では次のように報じています。
国連総会はパレスチナ紛争にからみ、これまでたびたび対イスラエル非難決議を採択しており、米国の提案の背景にはこの傾向に歯止めをかける思惑もあったとみられる。だが、24日、総会が開かれた本会議場は半分以下の席しか埋まらず、アラブ諸国から出席したのはヨルダンなどごく少数にとどまった。
ボスニア、ルワンダ、アフガニスタン、イラク…という経緯を見てみると、アメリカがこの特別総会を提案したというのは皮肉な感じがします。いや、それ以上にもっと露骨な政治的意図を感じざるを得ません。
しかし、この特別会合が開催されることによって、少しでも多くのひとにこの事実が伝わること、そして"誠意"ある歴史の振り返りを拒む国にたいして一石を投じること、何より"今"を生きるのに懸命な世界中の人々に少しでも過去の歴史を、そして今世界で起こっていることを考える時間を与えてくれるものであればよいと思うのです。
ウィーゼル氏はこうも訴えました。「われわれは無関心であってはならない。無関心は常に加害者を助ける」と。今年はこの国でももちろん戦後60年です。