"理念"と"現実"の二項対立に終わらせないために

今年度も残り2か月余りとなりました。やはり年度で仕事をしている日本では、これからは今年度のまとめと来年度のスケジュールと口語ににらめっこをする時期になります。これに加えて、まだ残っている今年度の事業を勧めながら、通常の業務などが重なる時期になり、何だかてんやわんやしてきます。…というのが、今仕事をしているNGOの話なんですが、普通の会社も同じような感じなんでしょうね。

もうひとつの世界は可能だ―世界社会フォーラムとグローバル化への民衆のオルタナティブ

もうひとつの世界は可能だ―世界社会フォーラムとグローバル化への民衆のオルタナティブ

来年度の事業として新しく何かを始めたい!と思うと、やはりそのための企画を立てたり、そのためのお金をどこから取ってくるか?/捻出するか?ということになり、とりわけ後者には頭を抱えることになります。昨日久しぶりに大学院の友人と食事をしたのですが、日本のNGOに求められているのは、一般企業並のファンデーションの力にどうしてもなります。それはもちろん、事業やアクションそのものの方法論にも必然的に繋がっていきます。その点、最近良くも悪くもそうしたファンデーションも含めたマネージメント力に長けた海外系のNGOに目が行ってしまいます。事務所に送られてくるニューズレターに一般企業のCSR(社会的責任)に目を付けて上手く(?)連携しているところを見ると、やるかどうかにかかわらず、なるほどなぁと思います。

一方で、やはりNGOというのはどこかしら「理念」的なるところで形作られている感が強い自分としては、安易に連携・協力を進めることに懐疑的になることも多々あります。その辺りを以下に調整しながら、必要な限りの活動の継続を考えていくか?というところに悩まされます。

世界社会フォーラム(WSF)」が開かれています。今年で5回目を迎える世界社会フォーラム(WSF)のことは、ここ1年くらいようやくいろいろな場所で語られるようになってきました。先進国や大企業らによって進められる「世界経済フォーラム」が同時期に開催され、カウンター(対抗)・フォーラムとして始まりました。その「理念」は現代資本主義への懐疑であり、それへの抵抗でもあります。

ちょうど26日から、ブラジルのポルトアレグレで「しかし、この世界社会フォーラム(WSF)も徐々にその独自性から単なる"対抗"ではなく、"オルタナティヴ(代替的)"な要素を強く持ち始めました。もちろん、それに対する抵抗感を持つ人も多いでしょうが、この2つの要素がどのように絡み合うか?ということが、今後の「地球市民社会(Global Civil Society)」的なるもの(定義もなく使ってすみません)の登場へのひとつのターニングポイントになるのかな?という気がしています。それは「現実的に」ということではなく、ひとつひとつ吟味し、批判的かつ創造的に物事に向き合っていくという姿勢でもあるでしょう。

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昨日の大学のゼミで、特別ゲストのK大学のT先生が発表の中で参加者の現象から語った世界社会フォーラム(WSF)の凋落は、単にそれへの魅力の現象だけではなく、それが世界大に、けれどローカルな形で定着してきたひとつの形なのかもしれません。それは各地域での社会フォーラムの開催などが大きな役割を果たしています。

NGOではよく"Think Globaly, Act Localy"という言葉が聞こえてきます。WSFの動きは更にそれを踏み越えた、"Act Globaly, Think Localy"へ、そして"Act Globaly, Act Localy"への道筋の一歩なのかもしれないなぁと思ったりします。同時に、それは容易かつ柔軟に、物事へ抵抗し、オルタナティヴでもあるようなものを生み出すことができるのかもしれません。例えば「反資本主義」でも「親資本主義」でもないもう一つのアクションでもあるでしょう。

漠然と書いてすみません。漠然と現在自分がNGOに深く関わりながらも、今この社会において活動を行うには…ということに日々ぶつかるなかで、今まで以上に試行錯誤しているのです。分かりにくいし読みにくいと思いますが、頭のなかのものを余り整理せずに出してみました。世界社会フォーラム(WSF)についてもっと考えたいと僕自身も思っているので、是非いろいろな意見をお聞かせ下さい。