スーダンPKO/PKFによる自衛隊の派遣を巡って〜対話のできない国・日本

昨日のブログをアップしてすぐに、先ほど和平協定が結ばれたスーダン南部への展開が検討されている国連平和維持活動(PKO)への日本の自衛隊の派遣が報じられました(毎日新聞)。2001年12月に同年9月の米国同時多発テロを受けての国会において凍結が解除された国連平和維持軍(PKF)での軍事的性格の強い本体業務(停戦監視/武装解除などが含まれます)も含めての検討が行われるとのこと。この裏には、日本の国連安保理常任理事国入りを睨んだもので、ODAの減額が必死な今、自衛隊の派遣をもって「国際社会に貢献する」姿をアピールしたいとの政府の思惑があります(毎日新聞)。

スーダン南部で展開が予定されているPKOは、コフィ・アナン国連事務総長が提案したもので『国連スーダン派遣団(UNMISD)』と名付けられており、治安維持、南部統治と南北国民和解促進、そして人道・開発が含まれるといいます。朝日新聞によると、この設立に向けた決議案を米国は作成し始め、来週中には採択をはかることを予定しており、その規模は1万人レベルといいます。現在展開されているPKOの中で最大規模のものが2003年に始まったリベリアでの国連リベリアミッション(UNMIL)で、全体で1万7000人規模で、これに匹敵するものになります。もちろん予算も、リベリアで8億5000万ドルをグロスで越えますので、スーダンでもこれまたそれ相当の額に上るでしょう。

アメリカが積極的に決議案を作成している背景にはもちろんスーダン南部に埋蔵されている石油にあるのは間違いありません。またイスラム系の強い同地に対する米国の思惑というものも見えますし、石油に関しては現在大きな影響を与えている中国の存在もまた関わっているでしょう。日本がPKOに、そしてPKFの本体業務に関わるということになると、アフガニスタンイラクに続いて米国追従の姿勢を明確にしていると世界で捉えられるに違いありません。

もうひとつ問題は、アフガン→イラク、そして環インド洋被災地支援につづいて、PKFという形でスーダンに派遣される自衛隊の問題です。自衛隊を巡る議論はもはやこの国では飽和点に達しているように見えます。先日紹介した伊勢崎賢治さんの『武装解除』において次のような記述があります。

"右"の陣営にとっては、とにかく自衛隊を大規模に出す前例作りが大事なのだから、数十人しかいらない軍事監視、それも非武装のそれでは、あまり食指が動かなかったのだろう。

"左"の陣営にとっては、とにかく伝統的に自衛隊の存在そのものの違憲性にこだわってきたのだから、どんな理由であれ海外派兵なんてもってのほか。イラクへの派兵とアフガンへの派兵の違いなど、考える余裕も、そして大変失礼かもしれないが、気がついてもいないのだろう。(p.177)

これはアフガニスタンで日本のODAで行われた世界初の二国間援助による国際軍事監視団に纏わる記述で、国連安保理に"大義"を与えられた当ミッションへの日本(政府/国民)の反応と、現実の行動に対する辛らつな批判です。そして、こうした議論の混乱の中でイラク→環インド洋被災地へ、そして今度はスーダンへの自衛隊の派遣(形の差はあれど)が行われようとしている。小泉首相の歯止めない、一国の宰相として情けない言動がただただこの社会のなかを垂れ流されている現状に沿っているのも間違いないでしょう。左右、立ち位置は違えども、お互いに議論を重ねていく、対話を行う場所すらないのがこの国の現状なのかもしれません。

さて、本当に援助が必要なのはどういうことなのか?ということを改めて考えなければなりません。今年のイギリスでのサミットで大きなテーマになる予定でもあり、また国連で大きな位置づけを今後占められることが確実な『アフリカ』の問題にこの国がどのように関わっていくか?ということです。

国連の人道問題担当事務次長のエグランド氏は、「アフリカ」の問題について「忘却/無視された危機」だと発言しています。次回はこのことについて書いてみたいと思います。