「水」に思いを寄せる1週間に

すでに日にちが変わってしまったけれど、8月1日は「水の日」だ。水の貴重さや水資源開発の重要性への関心を高め、理解を深めるために制定された日で、7日までの1週間が「水の週間」となっている。この時期に制定されたのは「年間を通じて水の使用量が多く、水について関心が高まっている8月の上旬が適当である」ということだそうだ。この1週間でいろいろと全国で水のイベントが開かれるようだ。ちなみに「国連水の日」というものもあって、1992年に国連で採択されたこの日の前後には、3年に1度「世界水フォーラム」という国際会議が開かれている。ちょうど来年の3月にメキシコシティで第4回の世界水フォーラムが開催される。一昨年には第3回が京都・大阪・滋賀の3県を跨いで開催されて、青春18切符で1週間ほど会議に参加したのはいい思い出だ。そしてそれを契機に水問題は僕のライフワークのひとつにもなった。

水は身の回りにあるが故に逆に意識的になりにくいようだ。野口さんがちょうどスペースシャトルで宇宙に飛び出ているけれど、ガガーリンが「地球は青かった」と口にしたように、この地球の大部分が「水」で成り立っている。さらには、僕たちの体内の多くもまた水で占められている。そして僕たちは水なしに生きることはできない。けれども、逆にそんな「当たり前」だからこそ、水に意識的になることはない…というのが現実らしい。

地球上の水のわずか0.007%しか利用することができない人類。それを分け合って生活をしている。しかし、分け合って…といっても、実際には10億人はきれいな水を飲むことができない状態にあり、「20世紀の戦争は石油を争って起こったが、21世紀の戦争は水を巡るものになるだろう」と言われるくらい、実際問題として深刻な問題となりつつある。そしてその少ない水を奪い合うのは、国家レベルのみではなく、水道の民営化やボトル水に見られるように企業もまた重要なアクターとなっているのが現実だ。世界の水道事業、なかでも途上国の水道は少しずつ多国籍企業によって運営されるようになっている。昨日のジャマイカのエントリーで書いた国際通貨基金(IMF)や世界銀行などによる融資条件(コンディショナリティ)として、国営事業を民営化することというのがあげられるが、水道事業もまた例外ではない。

また日本は豊かな水資源を持ちながらも、世界中から水をかき集める水の大輸入国でもある。ボトル水として、いわば「水」という形を持って輸入されるものだけではなく、仮想水(バーチャルウォーター)として入ってくる。つまり、食糧を生産するにあたって、利用する水のことだ。日本の年間生活用水の総消費量が約900億トン弱であるいっぽうで、こうした仮想水の輸入量は1000億トン以上であるといわれる。ちなみに日本は世界1の水(仮想水)の輸入国でもある。

世界の水問題…といった時、ホワイトバンドキャンペーンに見られるような「世界の10億人の人々はきれいな水を飲めない」ということが一番最初に思い浮かぶかもしれないけれど、実は私たちの生活がそれらに密接に関係していると言うことも改めて思いを寄せることができればいい。そして、世界で進められる水道の民営化はまた日本でも次々に進められていることも。郵便は選ぶことができるかもしれないけれど、自宅の蛇口を複数の事業体分用意して「今日はA社で、明日はB社…」というような選択をすることができなくなることも意識する必要がある。

節水意識が世界的にも高いこの国。しかし、上に書いたように多くの水=仮想水を輸入し、また1日に300リットル以上の水を使う日本。世界では最低必要量といわれる50リットルどころか、20リットルも使えない国もある。この「水の週間」の間で、少しでも地球上の水の問題について考える契機になればいいな、と思う。