暴動と和平、クーデターに飢餓〜アフリカとどう付き合うか?

今年のG8サミットではアフリカ支援が大きく取り上げられ、また今後多くの援助が向けられることが決まった。またNGOホワイトバンドに代表される一大ムーヴメント(珍しくも日本でも!)によって徐々に目が向けられるようになってきている。また先日までNHKスペシャルでもアフリカが大きく取り上げられた(まだビデオ見ていないけど)。これまで債務の問題を中心に扱う中で、必然的にアフリカの問題に「なんとなく」関わってはいたけれど、今年はもう少ししっかりと関わろうと、いくつかの企画を仲間たちと考えている。今思えば、皆さんにご協力頂いているスーダンダルフールでのジェノサイドを止めよう!とアピールするTシャツの件もまた関係しているんだろう。

そんなどちらかといえば前向きに自分心はアフリカと向き合おうとしているなかで、アフリカの情報を見回りつつ、目にするのはやはり色々な問題ばかり。そうした情報を「今のアフリカの問題」という視点からどれだけ問題解決的に見ることができるか?ということが必要なのだけれど、その現実はただただ辛いものでもある。

例えば、南部との和平が進みつつあったスーダン(もちろんダルフール地域の問題は継続中)では、ヘリコプターの墜落により元反政府勢力「スーダン人民解放軍(SPLA)」の最高司令官で、内戦終結に伴って和解政府の第一副大統領に先月9日なったばかりのジョン・ガラン氏が亡くなった。全権を握り続けてきたガラン氏が亡くなり、SPLA内での権力争いも絡み、和平に暗雲が立ちこめたことを報じるところもある(読売新聞)。

即座にSPLAによる政党「スーダン人民解放運動(SPLM)」は後継を指名して発表したものの、首都ハルツームでは死者が出るほどの暴動が起こった(CNNジャパン)。「和平機運を損ねないように」とアメリカは好感を即座に二人スーダンに派遣した(日本経済新聞)。しかし、2日連続でハルツームでは暴動が起き、前日とあわせて可動かは定かではないものの46人が亡くなったようだ。1日目が黒人系住民、2日目は北部のアラブ系住民による暴動だともいわれる(河北新報社=共同通信)。救いなのは、即座にSPLMが後継を決め、平静を保つよう呼びかけ、和平プロセスの継続を明確にしたことであろう。ただ、こうしたことにすら敏感な状況にあるのが、何十年も内戦が続いたところであることを改めて実感する。

また昨日伝えられたのは、アフリカ北西部のモーリタニアで起こった軍による国営放送局の占拠である。反タヤ大統領派によるクーデターであるとの報道もあるようだ(河北新報社=共同通信)。まだそれ以上の状況は伝えられていないので判然としないが、昨年、一昨年にもクーデターや未遂が起こっているらしい。1960年のアフリカの年にフランスより独立したこの国でタヤ大当郎が政権を1984年に掌握したのもクーデターによるもの。首都ヌアクショット沖で見つかった石油資源が唯一の産品のようで、この辺りも何かしら絡んでくるかもしれない。

"貧困"という側面から見てみると、西アフリカのニジェールではバッタの大量発生と干ばつによる食糧危機が深刻化しているという報道があった(毎日新聞)。ニジェールだけで5歳以下の子ども15万人が栄養不良による衰弱や病気で死亡するおそれがあると言う。政府の農業投資がほとんどないために農法・品種の改良を行うことができずに普段から食糧輸入に頼っているという。結果、子どものみならず、人口の1/3、380万人が深刻な食糧不足に直面し、飢餓が周辺のマリやモーリタニアブルキナファソにも広がっているという。

そう、今政変が起こっているかと言われるモーリタニアニジェールは間にマリを挟んでいるが、実際に飢餓がそこまで広がっている。この飢餓が、もしかすると今回のモーリタニアでの政変の何かしらの糸口になっているのかもしれない。またニジェールの西にチャドを挟んでスーダンがある。チャドにはダルフール難民がスーダンから多数逃げてきていて、チャド国内の食べ物すら危ういにもかかわらず、彼らの生活も背負わなければならない状況は、チャド国内でも批判が起こっているという話もある。

アフリカについて、ほとんど何も知らない僕が何を書いても説得力がないけれど、だからこそ、今年半分は少しアフリカと付き合いながら、こうした状況のなかで何ができるのか?ということを考えたい。もちろん、ニジェールやその周辺国への具体的な支援という方法も考えられるし、この国の一員として何ができるか、何をしてはいけないか?ということも考える必要があると改めて思うのだ。