健康ファシズム日本

風邪を引いたり、NGOイベントまっただ中にある身にとって余り更新する時間…というより心の余裕がなかったりするのだけど、とりあえずは気持ちの問題でもあるので、それでも覗きに来て下さっている方には感謝のみ。毎週買っている週刊誌が硬軟織り交ぜて8冊ほどあってさらに月刊誌や趣味・研究に必要な書籍とかを入れるとまさに「つん読」状態に近い感じになってきた。うーむ。それでも漫画雑誌はその週のウチに息抜きと称して読んでいたのに、それすら「つん読」になっている状態はやはり頂けない。困った。とりあえず明日は自分の大学の公開講座で少し話をして来週は右にバナーのある国際協力イベントのセミナーのコーディネーターが待っている。…準備してないけど(涙)。

そんななか、タイトルに誘われて読んだ小谷野敦[編著]・斉藤貴男・栗原裕一郎[著]『禁煙ファシズムと戦う (ベスト新書)』(ベスト新書)。風邪でゲホゲホ言っていてもタバコ(とコーヒー)は手放せない人間にとっては必読(笑)。回りがいろんな理由(必ずしも健康だけではない)で"禁煙"に足を踏み入れるなか、まったくと言っていいほど僕の中ではそんなことも思い浮かぶことはないのだけど(正直に言えば、月末のお金のないときは少し思う)、少し気になる話題であるのは事実だ。

禁煙ファシズムと戦う (ベスト新書)

禁煙ファシズムと戦う (ベスト新書)

この本は別に喫煙を薦めるわけでもなく、禁煙を罵倒するのでもなく、現在の「"禁煙"をとりまく社会」の状況に対する警告を出す。喫煙者である小谷野、栗原両氏はさておき、『機会不平等 (文春文庫)』(名著!)や『安心のファシズム―支配されたがる人びと (岩波新書)』の著者でもある斉藤貴男氏は非喫煙者。対談も含めてこの本で語られる「健康」の名の下での国家によるファシズム、そしてそれに寄りかかる国民意識の考察は納得できるものが多い。公共施設で見られる『分煙』が25上に書かれた『健康増進法』なるものがその根元にある。そしてそれは国による国民の統制という側面とまた同時にそれに寄りかかることを良しとするこの国の国民性にもある。まぁ、先日の衆議院選挙の結果を見ても分かるし、共謀罪などを創り出そうとする状況を見ても分かる(共謀罪については例えばこちらを参照)。

だいたい副流煙に纏わる研究がすべていい加減であること自体がまだ日本で知られずに、ただただ言いように使われているというのが何よりもこの問題への関心の低さを感じずにはいられないのだけれど、反面、そうした「人は人」という、いい意味でのいい加減さを僕個人としてはもう少し信じたいところ。(副流煙について「え?違うの?」という方はこの本を読んでみて下さい。)

先日来、タバコの箱には「健康を損なう」などと、タバコのデザインなどお構いなしに警告が記されるようになった。「他国でもやっているのだから当たり前」という至極日本的な言い分はさておき、喫煙者的には「美しくない」。だからarmadilloのシガレットケースを愛用中。どちらにしろ、喫煙マナーが大切なのは言うまでもなく、問題はそれを取り巻く社会。その意味で、この本にも紹介されている山崎正和氏の文章が適切だ。

権力者が無理にそうしようとしなくても、ファシズムは常に我々自身の隣にあるんです。他人の人生に干渉し、支配することに悦びを覚える人が、世の中にはいくらでもいる。人間とはそういうものですが、それを互いに抑えるのが文化でしょう。(p.147)

ほんと、僕の生き死にに口出されるような国ってやだね。