パキスタン震災と「援助格差」

先日のエントリーに書いたように、自分の大学の公開講座で福岡のNGOについて話をする時間をもらって少しだけ話をしてきた。おそらく一番、自分たちの生活に身近な「国際協力」であるはずのNGOであるのだけれど、レスポンスを見る限り、「そんなものがあるのか」的な反応だったような気がする。もっと頑張らないとなぁ。水曜日、NHKの地元番組で少しまた話をさせてもらう。今度は写真なども使えるし、少しは分かりやすくなる…はず。お昼頃です。

公開講座のメインはかつてコソボの暫定統治機構で行政官をしていた先生の教育開発の話。この夏に文科省の調査員として訪れたパキスタンアフガニスタンでの教育に関する社会開発の話だった。ゲスト…ということで話を無料で聞かせてもらえたのだけど、なかなか面白かった。日本のODAによるJICAの学校建設の話があって、かつて現地パキスタンの学校建設単価の30倍の値段で学校建設をしていたとかなんていう話もあったり…。もはや言わずもがなだなぁ、なんて思っていたら週末にパキスタン北東部地震が起こった。マグニチュードも7.7という。日本人、福岡出身のJICAの専門員の方とそのお子さんが亡くなられたという話を聞いて、いろんなつながりのことを思った。

インドのカシミール地方の被害も合わせると2万人近くの死者が出ているようだ。日本からも政府の国際緊急援助隊・援助チームや、JICAも救助活動のために現地に出発している。またNGO赤十字はもちろん、日本レスキュー協会やJEN、AMDAなどがスタッフの派遣を即座に計画した。また世界中も支援を続々と表明している(産経新聞)。250万人が家を失ったと国連は推定しているが、人が生きていくためにも、災害支援が続くなかではあるが世界各国、世界中の市民からの支援が求められる。

 このなかで改めて「援助」というものについて考えさせられる。

昨年末のインド洋大津波以来、緊急支援を必要とする被災が続く。新聞には「援助疲れも」という言葉が並ぶが、それでも支援が必要であることには変わりない。一方で、10日付け毎日新聞にもあるように、各国が被災直後に出す「支援表明」が拠出額との落差があるのも事実で、僕たちとしては支援表明に準ずる拠出を行うように自国はもちろん世界的に求めていかなければいけない。インド洋大津波では9割強の拠出が確約されたようだが、もちろん世界の支援が平等に、構成に行われているわけではない。

以前、ニジェールのバッタの大量発生と干ばつによる食糧危機の問題について触れたが、この時にニジェール政府が国際社会に向けて出したアピールにはまったく反応がなく見捨てられているという。「援助格差」については改めて考える必要がある。

上で書いた公開講座のなかで一人の女性が質問として「ODAは日本の国益に沿わなければならないのでは?」という質問をしていた。最近のさまざまなメディアで語られるこの論調については改めて僕たちは考えなければならないと思う。小泉首相はアフリカへの100億円支援をサミットで表明したが、ODAというのはそもそも「政府開発援助」である。「援助」であるにも関わらず、「国益を考えなければならない」というのは、基本的な姿勢としては改めなければならないのではないか?別に戦略的に支援を行うことが一概に悪いとはいわない。ただ、そうするのであれば、もはや名前を変えた方がいい。そうでなければ、これこそ「偽善」に他ならないのだから。

パキスタンの被害は深刻である。それは間違いないし、可能な限り世界中から支援の手が伸ばされる必要がある。ただ、世界には「貧困」によって毎年数多くの人たちが災害でも戦争でもなく亡くなっている現実も頭の片隅においておきたい。もしかすると日本に住む私たちにとっては一生直接的にも間接的も関わることはなく、「戦略」的には支援が必要とされない地域かもしれない。しかし、毎日そうして亡くなっている人がいる現実を前に、何をすべきか?ということを考える必要があるし、それを小さくても継続的に続けることがNGOの活動なのかもしれないと改めて思う。