青年海外協力隊と「日本ブランド」

お昼。仕事に行く準備をしながらTVを付けていると、テレビ東京系で『ラオスに実った友情の絆』という番組をやっていた。「おっ」と思ってみていると、どうも要は国際協力機構(JICA)の広報番組のようで、ラオスで仕事をしている青年海外協力隊を中心として、シニア海外ボランティアなどのことも含めながら紹介しているようだった。

転機の海外援助

転機の海外援助

もともと今日23日の放映は以前から決まっていたのだろうが、政府系金融機関の統廃合が話題となり、そのひとつ国際協力銀行(JBIC)がJICAと一緒にされそうになっている(なんでも「JICA国際協力銀行」なんて名称案まであるらしい)なかでの放送というのが何とも皮肉な感じでもある。

とはいえ、23日の放映というのは理由がある。

ラオスは今、東南アジアの開発援助においても重要な国のひとつだ。JICAの協力隊も派遣しているアジアの国々16ヵ国中累計人数は7位とそれなりの数だ。何より協力隊が1965年12月に初めて派遣した国がラオスなのだ。そして派遣のための取極締結されたのが40年前の11月23日なのだ。

番組の中では音楽、美術、理容/美容、農業、合気道…とそれぞれの分野で活躍する(した)協力隊員やシニア海外ボランティアの活動が紹介されていた。しかし、それは少し客観的な目で見ると奇妙なものも多い。例えば音楽。派遣された音楽教師がリポーターの福留功男が持っていった楽器を説明するときも「タンバリン」「カスタネット」などと日本語で教える(もちろん英語も殆ど同じだし、ラオス語にはそれらに該当する言葉はないのかもしれないが、あまりに「日本語」的)。例えば美術教師はラオスの学生に絵を描かせるのだけれど、描かせる絵は「侍」や「五重塔」だったりする。合気道を教えるシニアのボランティアの男性に至っては、「日本よりもラオスの方が武道の心が分かっている」などと口にする。いや、武道の心は日本に限らないのかもしれないが、それにしても余りに「日本」というブランドにこだわりすぎてはいないか?

先日、某NGO関係者から聞いた話でJICAの協力隊にこれから行こう!という人が「なぜNGOの人はJICAの人)を嫌うのか?」と聞いてきたと苦笑混じりに話していたが、NGO関係者はJICA関係者を嫌うというのではなく、その余りに日本にこだわった援助の方法に固執することに距離を置きたいと思っているのだろうという気がする。

上に書いた政府系金融機関の統廃合のなかで援助機関を首相直属機関とするという話があったが、そんな「国益」によって援助を考えること自体が問題だということを、改革するにあたってはしっかりと認識すべきだろう。もちろん、外務省が自分のところにJICAを初めとする援助機関を残して置こうという思惑もまた「省益」という矮小なものにとらわれていることもまた同様だが。

このブログをあげた後にイベントカレンダーにあげておくけれど、おそらく12月2日に福岡で行われる予定のNGO-外務省定期協議会ODA政策協議会でもこのことは間違いなく触れられることになるだろう。奇しくも今日のFUNNの講座のなかで講師の方が仰られていたように、日本のNGOはもちろん、日本人が海外への支援を考えるときに真っ先に必要なのは、モノやお金を送ることではなく、年間1人あたり8000円も出している政府開発援助(ODA)によって更なる問題を引き起こさないことだと改めて思う。

青年海外協力隊も一人派遣すると2000万円の我々の税金が使われる。増税もまた現政権の大きなテーマになっているけれど、それらの使い道を国際協力の分野においてもよくチェックしていくことが求められている。