「9.11以降」、何が生まれ失われたか?

今日で、米国同時多発テロ、9.11から5年になります。あっという間に過ぎたような気もしますが、この5年間の世界の変化はもちろん、国際協力やNGOの周辺環境も大きく変わってきたように思います。僕自身、NGOに積極的に関わるようになって約7年。そのほとんどが「9.11以降」の世界での国際協力・NGO活動です。そこで何が生まれ、何が失われたのか?ということを、自分の活動をベースとして改めて考える機会にあるのだろうと思います。

前のエントリーにも書きましたが、先日お会いしたクミ・ナイドゥCIVICUS事務局長は「テロは市民社会の政治的空間に強い影響を与えている」と言っていました。実際、この国を見ても街中に張り巡らされた監視カメラによく分からない正当性が与えられたり、公園の便所への落書きや普通にエロチラシですら入れられているポストへのチラシの投げ込みを一市民や市民グループが行うと逮捕されたり、市民の正当な権利であるデモの最中に不当な逮捕をされたりと言ったように、この国のある種の「締め付け」が真綿で首を絞めるかのごとくジリジリと行われています。その一方で、国内での格差が広がり、それを正当化する言葉が政治家の口から溢れ、なぜだか人々もまたそれを批判せずに「仕方がない」と受け入れるという状況すらあります。

もちろん、反面で9.11以降多くの人々がその状況に問題意識を持ち、多くの学習会や講座、またアクションが生まれ、一定の裾野が広がったことも事実であり、その力強さもまた少しずつですが、実感できるところもあります。その一方で、そうした市民やアクションを支援する社会の仕組みはまだまだ十分とはいえません。

ここ数日、9.11を巡るさまざまな報道や番組がなされています。「9.11以降」の社会の変化を改めて、9.11を振り返ることで改めて考えてみたいと思います。