結局、何もできなかった自衛隊

毎日新聞イラク自衛隊:2年半、5500人がやった支援活動は?

 イラクに派遣されていた最後の陸上自衛隊員600人が、先月25日までに帰国した。小泉純一郎首相が胸を張った日本の復興支援。実際には、どのような活動をしてきたのだろうか。

■実働100人
 陸上自衛隊の先遣隊がイラク南部ムサンナ県(人口約56万人)のサマワに入り活動を始めたのは04年1月。現地は当時、水と電力の不足、失業が深刻な問題だった。自衛隊の役割は(1)給水(2)道路、学校などの補修(3)医療支援−−が3本柱となった。
 3カ月交代で派遣される約600人のうち本隊は約500人、別に業務支援隊が約100人。ただ、本隊のメンバーがすべて復興活動にかかわるのではない。派遣期間中、13回のロケット砲撃弾を受けた自衛隊宿営地。管理、警備部門に各約200人をさいた。宿営地内の施設を高さ4メートルのコンクリートと鋼板で覆って要さい化することに力が注がれ、復興活動にあたったのは約100人。内訳は、道路や学校、病院を補修する「施設部隊」約50人と医療技術などを教える「衛生部隊」約50人だ。
 しかも、1日3時間だった活動時間は、05年6月に隊員の車列が路上爆弾の被害を受けてからは1時間に。移動中の襲撃を避けるため宿営地と現場は時速100キロ余の装甲車で往復した。「もっと時間があれば」と語る隊員もいる。(以下略)

イスラエルヒズボラとの紛争の後、残っているのはまさにイラクの現状を同じで、破壊された人々の生活だ。それを復興するというのはとてつもなく大変であることもまた証明されている。各国政府や国際機関、そしてNGOを問わず、復興支援に入りさまざまな活動をしているけれど、一応、撤退が決まった自衛隊による支援が何を生みだしたのか?というと、それはあまりにも情けない姿でもある。自衛隊員のイラクでの働きに文句をつけるわけではないけれど、やはりこのイラクの戦争を支持し、イラクの人々の生活を破壊し続けてきた代償はあまりにも大きいことの証左だ。

わずか100名が1〜3時間しか活動できない自衛隊ODAとは車の両輪だとする政府のイラク支援の成果はたったこれだけだ。これではあまりに自衛隊員の人も可哀想だろう。もちろん、復興支援以外の目的もあったと指摘する人もいるだろうけど、そんなことはもっと他のことでやればいい。

911以降、アメリカべったりのこの国の閉塞感はイラクを始め、世界中で大きく信頼を損ねているばかりではなく、この国のなかでもまた同様だ。