教育による平和構築〜小松太郎『教育で平和をつくる』

今月26日、フセインイラク大統領の死刑判決が出ました。罪状は82年にイラク中部ドゥジャイル村でイスラムシーア派住民148人を虐殺したという「人道に対する罪」。このほかにもクルド人の暗殺やクウェート侵攻にまつわるさまざまな人道的な罪があるのですが、それらは今後30日以内の死刑執行によって最重要人物である彼の関係については闇に葬られることになります。

そのイラクでは未だに混乱が続いています。アメリカの中間選挙共和党が敗北したことで死に体と化した大統領により、徐々にアメリカはイラクから足を抜こうとしています。それとともに国際社会の関心もまた小さくなっていく危険性は大きくあります。イラク政策見直しについて検討する「イラク研究グループ(ISG)」の報告書では「段階的な駐留米軍の撤退、そしてイランやシリアを含む周辺国との対話」があげられ、一方であいまいな言葉が並ぶものでした(クーリエ・ジャポン"あいまい語"を多用したイラク政策提言」)。

未だに続く混沌としたイラク社会において、子どもたちへの教育は大きな課題です。こんな記事もありました。

イラク】子供たちの遊びにも戦争の悪影響
治安が悪化するばかりのイラク。そんな混乱を象徴するように、子供たちの間ではおもちゃの銃や制服などがよく売れている。さらに深刻なのは、”テロごっこ”が流は行やっていることだ。集団の中で一番弱い子が標的に選ばれ、その子に暴力を振るったり、罵声を浴びせたりする。犠牲者役に選ばれた子は、じっと無抵抗でそれに耐えなければならない。一人を集団でいじめていたかと思うと、次はテロリスト役の子供の一人が新たな標的となって、集団暴行の犠牲になり、加害者と被害者が入れ替わっていく。
国連の監視委員の報告書によれば、子供に自爆テロを実行させるようなケースも出ていて、13歳以下の子供が実行したテロが11月だけで3件も報告されている。異常な社会情勢は、確実に子供たちの心を蝕んでいる。

イラク戦争終結」後に多くのアメリカ企業が入り、インフラを中心とした復興ビジネスに手を染めるなか、子どもたちは「テロごっこ」に興じるという社会は間違いなく不幸です。多くの国際的な援助機関が入り、イラクの人々のための支援はこれから本格的に始まるのかもしれませんが、教育の支援というのはなかでも非常に大切なものです。

国際教育協力というのはなかなかわかりにくい国際協力の形です。「学校を作る」というのはわかりやすく、また多くの団体が関わっていますが、それと同様に、ある場合はそれ以上に大切なのは相した教育のための政策をきちんと形作っていくことです。学校があっても先生がいなければどうにもなりません。先生もきちんと教育を行える状態にいなければなりません。継続的に教育が続けられるしくみが非常に大事なのは言うまでもありません。小松太郎さん(九州大学)の著書『教育で平和をつくる―国際教育協力のしごと (岩波ジュニア新書)』はそうした国際教育協力の活動の姿を実際の経験の様子を書き連ねていくことでわかりやすく紹介しています。

教育で平和をつくる―国際教育協力のしごと (岩波ジュニア新書)

教育で平和をつくる―国際教育協力のしごと (岩波ジュニア新書)

小松さんは以前、コソボの「国連コソボ暫定行政ミッション(UNMIK)」で教育行政官として働かれていました。その経験を中心に、その後のボスニアアフガニスタンでの教育アドバイザーとしての仕事、そして現在の大学での調査研究について紹介しています。国際教育協力を将来の職としたいという人にはバッチリな内容ですね。

本書ではタイトルに「平和をつくる」と入っているように、教育を平和構築の立場から主に語られます。村での学校職員との対立やそれ以前にコソボに存在する民族的対立などさまざまな「対立」のなかで、人々が平和に心を安寧としてともに公平な社会を構築するための教育が求められます。

教育分野では、すべての人が教育を受ける権利を享受できることを保障することが大事ですし、公正な社会の実現のために必要な権利や責任といった考え方を学ぶことも大切でしょう。紛争後の教育協力を考えてみると、紛争前の社会を復元するのではなく、公正な社会、つまり積極的平和を目指すための新しい教育や教育制度の構築が求められます。(中略)対立しあった集団の間にどのようにして信頼関係を作っていくかというのは、非常に重い課題です。公正な社会に生きる市民としての権利や責任を教えることはできても、人を愛したり信頼したりすることは簡単に「教育」できるものではないのです。紛争後の教育協力は、対立する集団間(大人も子どもも)の偏見や不信を粘り強く取り除いていく姿勢が求められます。(p.vii)

どこかの国で盛んな国を愛するという「教育」の不思議さが改めてよく分かりますが、まさに目の前で悲惨な出来事が起き、また上記のイラクの子どもたちのような情緒不安定である種異常な状態が「常」として存在する社会で、こうした国際教育協力の活動の重要性を改めて感じます。現実には「米軍およびイラク兵が学校の30%を徴用し」、「100万の子供達は、必要な水/衛生施設も無く、壁は崩れ、窓は壊れ、雨漏りのする学校に通って」おり、2003年のイラク戦争前には100%の就学率を誇っていたこの国で「先学年の就学率は約75%であったが、今学年の通学者は、350万人の生徒の僅か30%」(JANJAN占領あるいは教育?」)である現状は明らかに国際社会の責任といわずしてなんだろうか?と忸怩たる思いになります。

また、中立の立場にいながらもある種の政治的な存在でもある国連職員の生活が描かれたこの本のなかで、よい意味でNGOとしてはどのような立場でどのような活動をするのか?ということを改めて考えさせられます。