公開性と情報の共有〜梅田望夫、平野啓一郎『ウェブ人間論』

僕なんて最早パソコンなしでは生活できないだろうなぁと思うくらい、仕事や研究はもちろん、私生活でも使っているし、それ以上に、インターネットによる恩恵を数限りなく受けているものとしては、「使わない」という選択肢は「食べない」というものに非常に近い状態にあります。今、帰省しているのですが、もちろんパソコンは持ち帰り、最近は普段あまり使わなくなったけれども契約して持っているウィルコムを大活躍させて、机の前にいるときはずっと接続状態を保っています。どこかしら、背徳な行為と思っていた節もあるのですが、上に書いたような付き合い方をしている僕にとってインターネットの意味を改めて考えたのが梅田望夫さんと平野啓一郎さんの対談で編まれている新書『ウェブ人間論 (新潮新書)』でした。

ウェブ人間論 (新潮新書)

ウェブ人間論 (新潮新書)

昨年よく読まれた梅田さんの『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)』を受ける形で、作家の平野さんとの間で行われたこの「対話」。いろんなサイトで紹介されているように、一番興味深かったのは、活字文化のど真ん中で活躍する平野さんが「本」の将来を悲観的に見、梅田さんがその可能性の大きさに活字文化のより一層の広がりを話しているところでした。

あらゆるものがウェブ世界の中に吸収・収斂され、再構築される姿を良く耳にしますし、その可能性だけではなく問題を喚起するものが多いなかで、改めて落ち着いて自らの世界・社会にきちんとウェブをそれぞれがどのように位置づけ、また付き合っていくのか?ということを、一番身近な生活世界のなかに引きつけて考えなければならないな、と思います。

普段、NGONPOというアソシエーションな世界で生活する僕はウェブ世界における「繋がり」といわゆる「市民社会」という自発的な人間同士の「繋がり」のなかで生まれる空間の類似と相違についていろいろと考えます。

例えば、ウェブ世界における「オープンソース思想」について語っているところで、梅田さんは「参加者の絶対数が増えて、多様な価値観を持つ人々の集合体に進化してきた」*1ことにより、オープンソースが資本主義に組み込まれることなく一定の役割を果たしていると書いています。また世界中からやってくるインターンに対して、グーグルはあらゆる社内情報をオープンにし、そのうえで「仕事」をしてもらうという方法を取るそうです。この開放性、そして「情報の共有」をできる限り進めることで、ひとつの思想を生みだし、世界を作りました。

NGO/NPOに代表的な市民社会の正確もまたこれに大きく符合する部分があるように思います。

最近は「NPO法人化」に代表的に、本来ならオープンであることを求められるものであるにも関わらず、実際にはこれによって生まれた「組織」を守るがために閉鎖的になりがちです。個人的に関わっているものの多くはできる限り広く情報を開示し、共有することをモットーにしていますが、しかしそこに理解を求めるのはなかなか難しいのが現状です。どう考えても逆向きに進んでいると思って仕方がないのですが、官僚化・公的化してしまっているという本末転倒さがあります。

一方で、法人格を取得すれば、情報公開、とりわけ財務関係を明らかにせざるを得ず、任意団体のままにしているというところもあります。多くの人から寄付や募金を集めている団体、公的機関から助成金補助金をもらっているにもかかわらず、「会員がいないから」という説明を隠れ蓑に、公にしていないところもたくさんあります。

あらゆるものをできるかぎり公開し、「一緒に構築していこう」という姿勢を持ち活動するNGO/NPOが増えることこそが、活動に正当性を与え、また自らの団体も含めた市民社会組織を作り上げ、社会全体を担うのだと考えます。同時に、その社会に住む、直接的には関係のない人たちもまたそうした団体と「共に作り上げる」ために公開性を求め協働することができれば素敵だな、と改めて思います。

グローバル市民社会なるものが生まれつつあるのだとすれば、パートナーとして大きな位置を担ったのはウェブだっただろうと思っています。そして、この『ウェブ人間論 (新潮新書)』のなかでの指摘も大いに肯くことができるものがあるのも確かです。

*1:p.158